千日手




千日手(せんにちて)とは、将棋において駒の配置と手番が全く同じ状態が1局中に何回か現れること。


本項目では、将棋と同類のボードゲームにおける千日手に相当する規定についても述べる。




目次






  • 1 将棋における千日手


    • 1.1 ルール


    • 1.2 連続王手の千日手


    • 1.3 ルールの変遷


    • 1.4 千日手に関する戦術・戦略


    • 1.5 千日手を巡る出来事




  • 2 チェスにおける千日手


  • 3 その他のボードゲームにおける千日手


  • 4 比喩としての「千日手」


  • 5 脚注


  • 6 出典


  • 7 参考文献


  • 8 関連項目


  • 9 外部リンク





将棋における千日手



ルール


将棋においては駒の配置、両対局者の持ち駒の種類や数、手番が全く同じ状態が1局中に4回現れると千日手となる。千日手となった場合はその勝負をなかったことにする。公式戦では30分の休憩後、先手と後手を入れ替えて、最初から指し直しとなる。指し直し前の両対局者の各残り時間がそのまま持時間となり、片方または両方の対局者の持時間が60分に満たない場合は、持時間が少ない方の持時間が60分になるように、両対局者に同じ持時間を加える。持時間が60分以下の棋戦ではその棋戦の実行規定に委ねられ、初めの持時間を越えて加算することはない。再度、千日手になった場合も同様の処理をする。千日手局は、タイトル戦を除いて通常1局とは数えない[1]








△持ち駒 銀(左側) / なし(右側)










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Shogi zver 22.png

▲持ち駒 銀(左側) / なし(右側)




図の左側の盤面で、先手が後手玉に迫るには▲7一銀と打って詰めろをかける。後手は詰みから逃れるためには△7三銀打とするしかない。その後▲8二銀成△同銀と進むと、最初と全く同じ状態になる。この状態を繰り返すと千日手となる。


同一局面が4回現れなくても両対局者の合意があれば千日手が成立する。第59期名人戦(丸山忠久-谷川浩司)第3局(2001年5月8日)では、これによる千日手が成立した。一方で千日手に気付かずに終局した場合は投了が優先されるため、さかのぼって千日手とはならない。2006年7月2日に行われた丸山忠久-深浦康市戦(JT将棋日本シリーズ)では、同一局面が4回出現したが、対局者を含め関係者が気づかず[注 1]、そのまま指し継ぎ、千日手とならなかった(丸山が打開し、深浦が勝利)。



連続王手の千日手


千日手の手順において連続王手(一人の手順が全て王手である)の場合は王手を仕掛けている側が千日手の成立条件を満たした際に反則負けとなる。
例えば右側の盤面でも、▲2二龍△2四玉▲3三龍△1三玉と進むと元の局面に戻るが、この場合は連続王手の千日手にあたるため、反則行為を避けるには先手が着手を変えなければならない。しかし▲7一銀△7三銀打▲8二銀成△同銀の手順は王手を含むが常に王手ではないため反則行為とはならない。
1999年6月3日の泉正樹-川上猛戦(早指し将棋選手権)で、泉が連続王手の千日手で反則負けとなった事例がある。


両者が連続王手(連続逆王手)で千日手となった場合のルールは明確に定義されていないが、公式戦では前例が存在せず、現在のところ特に問題視されていない。両者連続王手の千日手は手順(局面)としてはおそらく存在しないだろうと見られており、一応証明も試みられてはいるが、完全な証明はいまだなされていない。



ルールの変遷







第41期名人戦・挑戦者決定リーグ
第118手 △7八同銀不成まで
(この後、同一局面が9回出現[注 2]
△谷川浩司 持駒:金銀










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▲米長邦雄 持駒:飛金銀歩四



千日手の概念は江戸時代から存在していたが、終盤で駒を打ち合い、取り合う状況でしか発生しないものと考えられていた。そのためルールとしては「千日手となったときには攻め方が手を変える。どちらが攻め方か不明のときは、仕掛けた側から手を変える。」という曖昧な規定にとどまっていた。[注 3]ところが1927年の対局で、序盤の駒組みの段階で同じ手を繰り返す局面が発生し、対局を中断して連盟に裁決をゆだねることとなった。これが局面にかかわらず「同一手順3回」という千日手の規定を明確にした端緒となったと考えられている[2]。なお戦前、特に攻め方あるいは仕掛けた側から手を変えなければならないルールだった時代の書籍では、「千遍手」「百日手」などの名称も用いられていた。


以前は「同一局面に戻る同一手順を連続3回」というルールであったが、同一局面に戻る手順が複数ある場合、このルールでは無限に指し手を続けることが可能[注 4]であるため、1983年5月に現在の「同一局面・同一手番が4回」に改定された。改定のきっかけになったのは1983年3月8日の米長邦雄-谷川浩司戦(名人戦挑戦者決定リーグ:現在の順位戦A級)であり、この対局では60手以上千日手模様が続き、同一局面が9回出現している(谷川が打開し、米長が勝利)。武者野勝巳がルール改正を提案し、可決された。同一局面4回であれば、同一手順を3回繰り返した時と同じであることから4回に制定された。



千日手に関する戦術・戦略


将棋の定跡には、両方が最善の手を指し続けた場合、千日手にならざるを得ない定跡が複数ある。例を挙げれば矢倉戦法における先手後手同型の総矢倉の形では、仕掛けたほうが負けるため千日手を選択せざるを得ない。米長邦雄など、この形でも千日手を打開し、自分が有利な方向に持っていこうとする手を考える棋士もいる。


また、伊藤果が案出した風車戦法では、ひたすら守るばかりで自分からは攻めず、千日手でも構わないという発想が存在している。千日手指し直しの場合は先手と後手がいれかわるため、若干有利である先手番を得るために、後手側が千日手にならざるを得ないような定跡に誘導することがあるのである。


千日手に持ちこむことが可能そうな局面ができた場合、千日手によらなければ劣勢となるならば、意図的に千日手に持ちこんで引き分けとし、次局に期待することを考えることとなる。
他方、千日手に持ちこまなくとも優勢である場合、千日手にして引き分けにするのは損であるため、他の手順で勝つことを模索するのが通例となる。


また、千日手にできる局面は、手数だけが伸びて局面には影響を及ぼさないため、4回に届かない間は持ち時間に追われる対局者の時間つなぎとして用いることも可能である。



千日手を巡る出来事







第18期十段戦予選
第109手 ▲3九桂まで
(この後、同一局面が8回出現[注 5]
△加藤一二三 持駒:金二歩三










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▲大山康晴 持駒:飛歩二




  • 1906年、関根金次郎と阪田三吉との戦いで、終盤、阪田が千日手の「攻め方打開」のルールを知らず、無理に打開してペースが狂い惜敗する。なお、戯曲や映画作品の『王将』の中では、「坂田が、関根との初の戦いで、千日手を知らずに指し、ルールで強制的に負けにさせられた」と、誇張された表現になっている(実際は、阪田・関根戦の初戦ではない)。

  • かつて[いつ?]、木村義雄は名人戦で千日手を回避し、それが元で敗北してしまった。観戦記者の坂口安吾はこれを厳しく批判し、「千日手を回避すると負けてしまう状況なら、勝負を重んじて千日手にするべきだ」と論じている。

  • 第18期(1979年度)十段戦大山康晴 対 加藤一二三王将の一戦では、加藤の攻めを大山が受け、95手目に千日手模様となった。しかし加藤は打開しようとせず、金銀の打つ順番を変える、馬を入る、不成にするなどで同一手順を回避しながら長引かせた。これに大山は激怒し、時計を止めて丸田祐三に電話し裁定を依頼するも、「現行のルールでは裁定できないから、指し続けてください」とあしらわれてしまった。結果、この手順の繰り返しと電話の間に加藤は打開の手順を読み、179手で勝利している。この対局では76手千日手模様が続き、最多の同一局面は8回出現していた。この後、前述の米長邦雄対谷川浩司戦でも同様の事例が発生し、千日手のルールが改定されることになった。

  • 第40期(1982年度)名人戦中原誠名人対加藤一二三十段の七番勝負は、持将棋1局と千日手2局を含む「十番勝負」となり、4勝3敗で加藤が悲願の名人位を獲得した。持将棋も千日手も後日指し直しとしていたため、1982年4月13日に第1局1日目が開始の「十番勝負」が決着したのは、3ヶ月半後の7月31日であった。

  • 第44期(1994年度)王将戦七番勝負最終局では、谷川浩司王将が羽生善治竜王・名人(六冠)を千日手指し直しの末に破り、羽生の七冠制覇を阻止した。

  • 第15期(2002年度)竜王戦(羽生善治竜王対阿部隆七段)では、第1局で千日手2回となり、第1局の指し直し局を第2局の日程にずれ込ませる異例の措置が取られた。

  • 第51期(2010年度)王位戦七番勝負では、第5局、第6局で、深浦康市王位対広瀬章人六段の対局で、いずれも相穴熊の状態から千日手が成立した。第5局指し直し局は両者穴熊に囲わない対局を広瀬が勝利。第6局指し直し局は、広瀬は振り飛車穴熊、あとがない深浦は銀冠に囲い、激しい攻め合いとなったが、この対局も広瀬が攻め合いを制し、初タイトル・王位を奪取した。

  • 第61回NHK杯戦1回戦佐藤康光九段対永瀬拓矢四段(2011年6月5日放送)では同棋戦で史上初[3]となる2回連続千日手が発生し、再指し直し局で永瀬が勝利している(対局内容は最初は先手番永瀬の升田式石田流対後手番佐藤の居飛車での振飛車対抗形、指し直し局は先手番佐藤は、前局同様居飛車での対抗形対後手番永瀬はゴキゲン中飛車、再指し直し局は最初の対局同様先手番永瀬の升田式石田流対後手番佐藤の居飛車での振り飛車対抗形)。


  • 2012年10月3日の王座戦第4局の渡辺明対羽生善治では、羽生が122手に6六銀を指して局面が膠着する。22時9分まで142手を指したところで千日手となった。22時39分〜深夜2時2分に行われた指し直し局で羽生善治が勝利。渡辺明は「最後は勝ちになったのかと思っていましたが△6六銀とはすごい手があるものです」と感想を述べた[4]。なお、千日手局・指し直し局合わせて2012年度の将棋大賞名局賞を受賞した。


  • 2014年9月2日の竜王戦5組昇級者決定戦、伊藤真吾対宮田敦史戦は3回連続千日手指し直しとなった。1局目は序盤で午後5時3分に千日手に、2局目は午後11時30分に中盤で千日手、3局目は翌9月3日の午前3時12分に千日手となった。4局目が終ったのは午前6時51分(結果は宮田の勝ち)。4局合計の指し手数は405手だった[5]



チェスにおける千日手


チェスでは千日手は、スリーフォールド・レピティション (Threefold repetition、同形三復)、または単にレペティションと呼ばれている。相手の手で同一局面が3回生じたとき、または自分の次の手で同一局面が3回生じるときに引き分けとなる。ただし自動的に引き分けになるのではなく、自分の手番の時に指摘しなければならない。公式戦では、審判員(アービター)に申し立てる必要がある。


連続チェックの千日手は、特にパーペチュアル・チェック (perpetual check)と呼ばれている。終盤戦で不利な側がパーペチュアル・チェックで強制的に引き分けに持ち込むのは、チェスの基本戦術の一つである。一般的にパーペチュアル・チェックは、下図のようなクイーン・エンディングで登場することが多い。



図A



























































a b c d e f g h
8

Chessboard480.svg
a8 black king

c8 white queen

a7 white circle

a6 black pawn

b6 black pawn

a5 black pawn

a2 black queen

e1 white king

8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1
a b c d e f g h

Qc8+




図B



























































a b c d e f g h
8

Chessboard480.svg
a8 white circle

a7 black king

c7 white queen

a6 black pawn

b6 black pawn

a5 black pawn

a2 black queen

e1 white king

8
7 7
6 6
5 5
4 4
3 3
2 2
1 1
a b c d e f g h

Qc7+




上図Aで、黒のキングが逃げられるマスはa7だけである。しかし次に白がQc7+(上図B)とすると、また黒キングはa8に戻らなければならない。この動き(図A→図B→図A→図B)は、白が手を変えない限り永遠に終わらない。動きを2回繰り返し、図Aが3度生じた時点で黒が指摘すれば(または白が自分の手番に、Qc8+と指せば図Aが3度生じることを指摘すれば)、ゲームはスリーフォールド・レピティションとなり引き分けとなる。



その他のボードゲームにおける千日手



シャンチー

連続王手の千日手(長将、チャンジャン)は禁じ手であり、王手をかけている方は3回同じ局面が出現するまでに手を変えなければならない。 その他の千日手は「一方が手を変えなければならない場合」と、引き分けになる場合(和棋、ホーチー)があり、状況によってどちらになるかの詳細なルールは複雑なものとなっている。

チャンギ

同一局面が3回現れた場合はどんな場合も引き分けとなる。

マークルック

引き分けとなる。ただし、連続王手の千日手は王手をかけている側が手を変えなければならない。

どうぶつしょうぎ

同一局面が3回現れた場合はどんな場合も引き分けとなる。


将棋系のゲームではないが、囲碁でも三コウや長生などによって同一局面が反復されることがあり、日本棋院の公式ルールでは対局者同士の合意によって引き分けとする。



比喩としての「千日手」


「同じことを繰り返し、いつまでも終わることない攻防」を「千日手のように」と比喩表現で使用されることがある(「いたちごっこ」、メビウスの輪、賽の河原)。



脚注





  1. ^ 同一局面に戻る手順AおよびBを、ABBの順で繰り返した。棋譜および図面は[1](スポンサーである日本たばこのサイト)の54手目から66手目を参照。


  2. ^ 先手は▲8七銀と▲8八金、後手は△6七銀打と△7九金で7八の駒を取り合う展開が続いた。


  3. ^ 一説に、千日手は仕掛けたほうが負けともされていたともいうが、公式ルールなどの整備は行われていなかったようである。


  4. ^ 同一局面に戻る手順にAとBがあるとき、A-B-BA-BAAB-BAABABBA-... と、それまでの手順を逆にしてつなげることで、同一手順3回(すなわち、AAA, BBB, ABABAB, BABABA、など)を回避しながら同一局面を繰り返すことができる。


  5. ^ △5七馬▲3九桂の交換が入る前も千日手模様が続いていた。この後、△3七銀不成▲同銀△2六銀▲2八銀…と不成と成り、△2六金などを続けた




出典





  1. ^ “対局規定(抄録)”. 日本将棋連盟. 2017年6月29日閲覧。


  2. ^ もずいろ 記憶に残るあの千日手による。同サイトは、この対局については『菅谷北斗星選集 観戦記篇』から情報を得たとしている。


  3. ^ 同日の放送で、司会・聞き手の矢内理絵子談。


  4. ^ 王座戦第4局。- 渡辺明ブログ


  5. ^ 『田丸昇のと金横歩き』[2]、『将棋世界」2014年11月号




参考文献


  • 『菅谷北斗星選集 観戦記篇』(菅谷北斗星、日本将棋連盟、1979年)


関連項目



  • 引き分け

  • 持将棋

  • 最後の審判 (詰将棋)

  • 再試合



外部リンク




  • 千日手考(もずいろ 風変わりな将棋の部屋)


  • 記憶に残るあの千日手(同上)














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